原点回帰。私が教員になった理由を自己紹介を含めて書きます。

中学校で教員をしています。Lynxです。教員生活15年目、教科は保健体育を担当し、主任も務めました。校務分掌は生徒指導主任を務め、校則の見直しを積極的にやってきました。本年度より、特別支援学級に在籍し、週に1時間通常級の保健体育の授業を担当しています。15年という長いような短いような経験から、読者の方々が教員の世界で気になることや知りたいことを発信していきたいと思います。

教員を目指した理由

学生時代、野球をやっていました。小学校3年生から高校3年生まで続けました。今でも野球は好きなのですが、高校時代の顧問と出会い、野球が嫌いになってしまいました。高校の部活は言い方は悪いですが、人権はなかったです。顧問の言うことは絶対。言うことを聞かなければ体罰を受けました。100歩譲って、規則を守らないなど、社会的にやってはいけないことをやってしまった時に指導を受けるのはしょうがないと思います。野球のプレーに関して、打ち方や投げ方、ミスをした際も体罰を受けました。何もかもが強制され、次第に私は思い切ってプレーをすることができなくなりました。高校3年間は背番号をもらうことなく引退をしました。この経験から、自分は自分のような思いをする子どもを1人でも減らしたい。そう思い教員になることを決意しました。

大学卒業後、教員の道へ

大学卒業後、非常勤講師として地元の中学校に採用が決まり夢の教員生活がスタートしました。非常勤講師の給料だけだと生活が苦しかったので、夜は居酒屋とコンビニで夜勤のバイト長期休みは学童や児童養護施設、リゾートバイトをやりながら生計を立てていました。今考えると大変だったなと思いますが、若かったので何でも勢いでできたのだと思います。その後は臨時的任用教諭として10年間勤めました。採用試験になかなか受からず、教員の道を諦めようと思ったこともありましたが、周囲のサポートや励ましがあり、何とか続けることができました。当時の仲間には感謝の気持ちしかありません。

教員採用試験合格 本採用になる

苦節10年。10回目の教員採用試験でようやく合格することができました。34歳の時でした。

中学校1年生の担任からスタートし、その子たちを卒業まで担当することができました。3年間、担当することは初めてで、学年の子たちが家族のように感じました。生徒指導主任や体育主任をやらせていただき、辛いこともたくさんありましたが、教員として様々な経験をさせていただいた5年間でした。

現在の学校現場の状況について

最近では、教員不足、不祥事などマイナスなニュースが目立ちます。確かに、報道されている通り、勤務時間に疑問を持つこともありますし、保護者対応や職場環境が原因で退職される先生もいます。しかし、生徒の成長に関われることや研修が充実しており、教師にしかできない経験がたくさんあります。良い部分も悪い部分も包み隠さずに発信をしていきますので、読んでいただければ幸いです。